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文章がうまくかけない

ブログを今回新しく始めた(n年目m回ぶり)ので、久しぶりに文章を書いているのだが、長い文章をうまく書くことができない。
もともと、文章を書くことは(どちらかといえば)得意だという認識があったのだが、一体何をもってそのような自己認識を持つことができたのか。
文章を作るというのは、「複数の短い単語だとか、感想だとか、思考を数珠つなぎにして、一本の線にするような行為」なのだと思うが、キーボードを前にしてみると、ぶつ切りのセンテンスや単語が頭にふわふわと浮かぶだけで、何も出てこない。
おそらく、Xのような短文投稿のツールに慣れすぎたのだと思う。結局、自分の感情や思考や意見を140文字の短い箱の中に押し込めるのが得意なだけであって、自分の思考を構造化した上で一本の線に再構築した長文を作成することでなかったのだ
いや、それすらに怪しい。そもそも、140文字の短い制限の中で、自分の頭の中に浮かんだものをきちんと他人に伝えられていたかというと自身がない。「おれは文章を書くのは得意だ」という自己認識はどのように作られていったのか。謎である。

現代ではいくらでもこれをサポートする機能はある。例えば、以下のように文章を箇条書きにし、geminiに食わせれば簡単に文章が作成できる。 この文章だって、geminiに推敲させれば、よりすっきりした文章になるだろう。

ただ、このブログに文章を書くときは、あまりAIを使いたくないな、という気持ちがある。
アイデア出しだとか、思考の整理だとか、AstroのコードはAIを使っても良いが、文章自体にはAIを使いたくない。

いかのようなまとめがあった

togetter.com
togetter.com favicon https://togetter.com/li/2643830

結局のところ、「複数の短い単語だとか、感想だとか、思考を数珠つなぎにして、一本の線にするような行為」 = 文章は、書き手のクセや呼吸によって大きく変わってくる。たとえ読みづらくても、これが自分のクセや呼吸なのだから、AIを使って脱臭したくないのだ。
おれの文章は読みづらいかもしれない。クセだらけかもしれない。だけど、それがおれなのだから、趣味で書いている文章はせめて、おれでいたいなと思うのだ。

人間社会で生きていると、個人のこだわりやエゴと、社会の効率化のはざまで悩むことがたびたびある。 そのような時にいつも思い出す曲がある

笑顔で最高っていえるか?  
むだな美学も売り渡した  
適度にフリーな奴隷が  
俺だよ お前だってそう

道化だろうが  
捨てたら大変だ  
もうないよ  
どうしたらいいんだ  
捨てたら完全な死だ

上記をgeminiで推敲してみた

プロの編集者としての立場で、下記の文章を読みやすくリライトしてください

n年目、m回目となるブログをまた新しく始めた。久しぶりにまとまった文章を書こうとしているのだが、どうも筆が進まない。 もともと文章を書くことは、どちらかといえば得意な方だと思っていた。だが今、その自己認識はどこから来ていたのかと首をかしげている。

文章を作るという行為は、複数の短い単語や感想、思考の断片を数珠つなぎにし、一本の線として紡ぐ作業だと思う。しかし、いざキーボードを前にすると、頭の中にぶつ切りのセンテンスや単語がふわふわと浮かぶばかりで、形にならないのだ。

おそらく、X(旧Twitter)のような短文投稿ツールに慣れすぎた弊害だろう。自分の感情や意見を140文字という小さな箱に押し込むことに最適化されてしまい、思考を構造化し、一本の線として再構築する「長文の作法」を忘れてしまったのかもしれない。 いや、それすら怪しいものだ。そもそも、あの短い制限の中で、自分の思考を正しく他人に伝えられていた自信もない。「おれは文章が得意だ」という認識は、一体どうやって形成されたのか。謎である。

現代には、これをサポートする機能がいくらでもある。 例えば、思考を箇条書きにしてGeminiに食わせれば、整った文章が簡単に出力される。このブログ記事だって、AIに推敲させればもっとスッキリとしたものになるだろう。

だが、このブログに関しては、あえてAIに頼りたくないという思いがある。 アイデア出しや思考の整理、あるいはサイトを構築するAstroのコード書きにAIを使うのはいい。けれど、出力される「文章そのもの」にはAIを介在させたくないのだ。

ネット上でも似たような議論を見かけた。 https://togetter.com/li/2643830

結局のところ、「思考を数珠つなぎにして一本の線にする行為」=「文章」には、書き手特有の「クセ」や「呼吸」が宿る。たとえ読みづらくても、それこそが自分の呼吸なのだから、AIを使ってきれいに脱臭したくはない。 おれの文章は読みづらいかもしれないし、クセだらけかもしれない。だが、それが「おれ」なのだ。せめて趣味で書く文章の中くらい、混じり気のない自分でいたいと思う。

人間社会で生きていると、個人のこだわりやエゴと、社会が求める効率化の狭間で悩むことがたびたびある。 そんな時、いつも頭の中で鳴る曲がある。

笑顔で最高っていえるか? むだな美学も売り渡した 適度にフリーな奴隷が 俺だよ お前だってそう

道化だろうが 捨てたら大変だ もうないよ どうしたらいいんだ 捨てたら完全な死だ