イリアスを読んでいる
目を背けたくなるニュースばかりで、暗い気持ちになる
こんなときは、思い切り意識を遠くに飛ばすしか無い。
遠くとはどこだ?いまここから、時間的にも、空間的にも、遠く離れた場所。
もはや、日本でも、20世紀でも、近すぎる。
もっと遠く、もっと遠く…を求めていたら、紀元前のギリシャにたどり着いた。
当初は、シモーヌ・ヴェイユの「重力と恩寵」を読んでいた。
更にいうと、この本を読んだのはきっかけは、更に遡ると三位一体論について書かれた本の不明点を調べていたところ、「無神論者の聖典」だと紹介されていて気になったのだが。
「重力と恩寵」の中で、イリアスに言及している箇所があり、そういえばイリアス、となったのだった。
いつか読みたいと思いながら、死んでしまって読めなくなる本は山ほどある。
北マケドニアの国境近くの街、ストルガの、小さなボロボロの図書館に置かれていたホメロスのこと(背表紙に金文字でHOMERと書いてあった。ホーマーと発音すると、まるで、アメリカ南部の田舎の福音主義の白人一家の名前みたいだ。ホーマー家)を、時たま思い出しては、あれもまた、そのたぐいの本だろうと思っていた。
ここ一ヶ月、スマホを開けば、気の狂った権力者たちが爆弾で人を殺す話だとか、石油の値上がりだとか、平和の終わりだとか、家族の未来が不安になるような話しか、虚ろなスクリーンから流れてこない。
世界のすべてが嫌になったとき、読書の習慣が復活した。
三位一体の本を読み、ヴェイユを読み、気づいたらイリアスを読んでいた。
とにかく意識を遠くに飛ばしたかった。石油の話も、戦争の話も、爆弾の話も、気の狂った連中の話も聞きたくない。見たくない。そんなのは画面の向こうの話だ。おれの人生に何も関係はないし、関係してほしくない。
3000年前の古代ギリシャの戦争叙事詩も、おれの人生にはなんの関係もない。だけど、おれの空っぽの脳内に詰め込む話は、できるだけ遠い話であってほしい。遠いところに行きたい。中途半端に遠い話は辛いだけだ。
肌の触れ合うほど近い距離か、そうでなければ、遥かに遠くへ行きたい。