フィルター術 - クライアントサイドでインターネットの有害情報をフィルタリングする
2年ほど前に「ニューロマンサー」を読んだとき、そのあまりにも「ユートピア」すぎるビジョンに驚いてしまった。
千葉でドラッグをキメた外国人が銃撃戦をしたり、死んだ天才ハッカーが電脳状態で生かされていたり、国家に代わって企業がやりたい放題やっている道徳的退廃の極み、「サイバーパンク」のどこがユートピアなのだ、という話だが、「ニューロマンサー」の世界には、退屈なビックテックの台頭によって我々が失ってしまった、かつてのインターネットの自由と猥雑の香りを、そこかしこに感じることができた。
法や社会の網の目から逸脱した世界。怪しげなブツを売りさばく男たち。衛星軌道上のラスタファリ。ここではないどこかへの跳躍の期待としての人工知能。あの自由と猥雑はユートピアではないのか。
だが、現実のディストピアは、予想の斜め上でやってきた。ビックテックはSNSという超巨大な中央集権/相互監視/階層構造/有害情報配信システムを作り上げた。
「ホームページ」や「掲示板」、個人同士がつながりあう非中央集権的なシステムを破壊した。
「ニューロマンサー」がディストピアとして描いたインターネットが九龍城塞のような、無法の、ツギハギだらけの、迷宮のような構造だとしたら、今のインターネットは、ビックテックが貧民から金を吸い上げるために最適化された、無限に広がる、単調で退屈な、フラットな団地だ。
これはこれで住みやすそうではある…
だが、ここでは人々は自分の意志で窮屈な箱の中にアカウントを作り、ヤツらが見せたいものを見せられ、ヤツらが操りたいように操られ、ヤツらが思わせたいように思うものばかりが流れてくる。うんざりだ。
フェイクニュース、広告、対立煽り、政治的怒り、他者への憎悪、嫉妬…
人類のことが嫌いになる前に、クライアントサイドで有害情報をフィルタリングするすべを学ばなければならない。
我々には、見たくないものを見ないようにする、フィルタリングの権利があるはずだ。たとえサーバー代を払っていないからと言って、不快な広告やゴミのような意見を強制的に見せられる謂れはない。
ましてや、インターネットとは結局のところ、ダウンロードしたドキュメントをローカルで閲覧しているだけの行為に過ぎない。ローカルに保存されたドキュメントを、どのように改変しようとも、そんなことは我々の勝手である。
おれはこのデータの改変術、あるいは、不要なデータを取得しない技術のことを「フィルター術」として、これを磨いていきたいと思う。
(勇ましいことを言う割には、cloudflare pagesにこの文章をホスティングしているようだが…)